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2018年11月24日  日吉台地下壕・戦争遺跡を歩く

 秋も深まった11月24日、平均年齢67歳の東村山三田会会員12名で、日吉台地下壕見学会に参加致しました。
 当日は穏やかな日差しで、歩き廻るには絶好な条件でした。
 アクセスの発達による便利さは大変なもので、所沢から日吉までほぼ乗り換えなしの1時間程で着くようになりました。学生時代に武蔵関から2回の乗り換えで1時間半ほど掛かっていたことを考えると、便利さに感心してしまいます。今なら朝一の必須外国語に出席が楽だろうなと思ったり致します。(代返が半分位あった事を棚に上げていますが)
 日吉駅に着き、先ず保存の会の方より来往舎で説明を20分ほど受けいよいよ出発です。見学時間が2時間強掛かることから、トイレを済ませないと老体には可成り厳しく、全員で準備です。
 現在建て直し中の日吉記念館横の第一校舎(現在慶應高校校舎)で地下壕建設の経緯を拝聴し、いよいよ高校グランド裏のまむし谷に向かいます。
 1943年、日吉キャンパスからも多くの学生が軍隊に入り戦地に「出征」して行き、日吉の3つの町は学生が出て行って数か月も経たないうちに海軍の軍人、軍の施設を作る作業員が入り、さながら軍都の様相だったと記されております。
 まむし谷を下り、体育館を過ぎるとアーチ型をした出入り口に着きます。入口を入ると一気に40メーターほど下って行きます。
 地下の連合艦隊司令部では、レイテ沖海戦や神風特別攻撃隊の出撃など、太平洋に広がる海軍の戦地に作戦命令を下しました。
 1945年4月に米軍が沖縄本島に上陸すると、戦艦大和をはじめ10隻の軍艦による水上特攻の出撃命令もこの作戦室できめられ、特攻隊や戦艦大和が傾いて行く様子もリアルタイムで把握されていたようです。
 太平洋戦争では320万人の犠牲者の内、終戦までの1年間で100万人もの尊い命が奪われたとあり、何ともやりきれない思いが致します。
 日吉台の2600メートルに及ぶ巨大地下壕は、戦争末期に米軍による本土空襲を予測した軍部に依り建設されたもので、もっと早く終結できなかったのか。民間人を巻き込んだ無謀で無駄な抵抗をした感が致します。
 戦争遺跡を歩いて見て、規模の大きさと堅牢さに驚くと共に、戦争の負の遺産として残すべきであり、今でも世界各地で紛争している事の無意味さを痛感させられる意義ある1日でした。
 見学終了後は所沢へ戻り、懇親会を行なって解散です。
 なお、地下壕見学は月2回行っており、個人でも参加できます。興味のある方は「日吉台地下壕保存の会」にご連絡ください。
  http://hiyoshidai-chikagou.net
                                             (熊谷 記)
所沢で懇親会 地下壕入口 地下壕内部
地下壕マップ
 
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